「野党」という「少数派」が、注力すべき事とは

/民の支持
/得られぬ者こそ
/野党なれ
/半歩の譲歩を
/獲れば上等
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野党が、「国民の声に耳をかたむけよ」みたいなセリフを首相に向かって言うのは、良くある場面だと思う。

だが、それは余りにも図々しいというか、おこがましいセリフじゃないだろうか。

野党がなぜ野党かと言えば、「国民の支持を得られなかったから」ではないか。例えば民進党と共産党の支持率は、2つ合わせても10%にも満たないレベルである。(2017年4月現在、NHK調べ。)
従って、彼らが代表しているのは、「日本国民のうちでも、異端に近いほど少数派の声」と言える。そんな「異端児」が多数派に対して、お前たちの考えは間違ってる、全部取り下げろ、などと言ったところで、「何を言うか、異端のくせに」と言われるのがオチであろう。

民主主義とは、決して数の力で異端や少数派を押しつぶす事ではないが、しかし、異端児がただ大騒ぎさえすれば、多数派がただ折れてくれるわけでもない。多数派も、少数派や異端児も、等しく声をあげ、お互いの話を聞き、少しずつ歩み寄るのが民主主義である。それであるならば、少数派や異端児が注力すべき点は、「多数派から、いかに上手く譲歩を引き出すか」に尽きる、と言える。多数派は、最後の手段としての「多数決」が残っているので、そう簡単には譲歩してくれない。とはいえ、賛同者が多ければ多いほど良い事には変わりないのだから、「譲歩できそうな良い条件」が提示されれば、乗ってくる。だから少数派は、頭をフル回転させて「多数派が譲歩できそうな条件」を考え出さねばならないのだ。

多数派の意見をただ全否定し、俺らの思う通りにしろ、お前らの意見は認めない、などと言い続けたら、話し合いになどならないのだから、「では多数決で決めるしかない」となるに決まっているのだ。そうなった時に「数の暴力だ」などと騒ぐのは、無能な負け犬の遠吠えに過ぎない。

民進党も、共産党も、「自分達を支持する国民は、日本国民の中でも異端なレベルの少数派でしかない」事を今一度肝に銘じ、その上で、せっかく支持してくれている一部国民の為に、少しでも与党から譲歩を引き出す努力をすべきじゃないのか。

バカの一つ覚えのようにただ廃案ばかり訴え、その結果、多数決で与党の原案のまま法案が通ってしまったら、「野党は何1つ、支持者のための仕事ができなかった」という事にしかならないではないか。

何でも評論家・永田清一

世の中の様々な物事に、狂歌をまじえつつヒトコト申し上げる。