奨学金は、むしろ貸与を増やすべき。

/大金を
/投じて学ぶ
/その価値を
/決めるは己が
/意思と知らずや
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元SEALDs 諏訪原健「奨学金借金1千万円の僕が嫌悪する安倍首相のキラキラ貧困対策」

朝日ドット  2017/4/ 7 16:00

https://dot.asahi.com/dot/2017040700023.html


元SEALDSのメンバーを名乗る若者が、
「わざわざ借金をしてまで、しかも1000万円も借りてまで大学に通い、やった事と言えばSEALDS活動でした!その1000万円の返済がキツイのは社会とアベが悪い!」
みたいな、どこから突っ込んでいいのか分からないほどメチャクチャな主張をする記事。

私に言わせれば、わざわざカネを借り手まで学校に行くなら、その分を取り返してなお余りあるくらいの仕事に就けるように、努力するのが当たり前である。返済がキツイなどというのは、甘えに過ぎない。

貸与型奨学金の場合、借りる側の子供が「大学って、大金を借りてまで行く必要があるのだろうか?」を真面目に考えるべきだし、給付型奨学金の場合、金を出す側が「この子に、大金を投じて大学で勉強させる甲斐があるだろうか?」を考えねばならない。

ただどちらの場合でも、結局「奨学金を持ち出すだけの価値があるかどうか」を決めるのは「学ぶ本人」である。


学生本人が、それこそ中学高校生のうちから一生懸命勉強に励んでいれば、お金を出す側は「この子にはお金を出す価値があるかもしれない」と判断する。そして大学に入ってからもキチンと学んで何がしかの結果を出せば、「お金を出した甲斐があった」事になる。

またそれだけ勉強に励んだとすれば、奨学金がたとえ給付型でなく貸与型であっても、本人にとっては「借金してでも大学に来て良かった」事になるだろう。

全ては自分の意思と努力で決まってくる事だ。


この若者は、「給付型奨学金の支給条件に成績が入っているのは疑問だ」などと述べているが、いかにも社会経験の無いバカ者、もとい、若者らしい夢想物語である。

「僕が嫌悪する安倍首相のキラキラ対策」などと言っているが何のことは無い、誰よりも現実離れしたキラキラのお花畑で遊んでいるおバカさんは、この若者自身なのだ。


奨学基金の財源が「寄付金」であるにせよ「税金」であるにせよ、それは「(自分を含む)国民の財布」であり、「限りある財源」である。そこから、貸与ではなくただ差し上げようというのであれば、できるだけ「将来有望な子」に限ろうとするのは当然である。「(家庭の収入さえ上限額より下ならば)誰にでも差し上げます」などという仕組みにしたら、財源があっという間に底をつき、結果として「将来有望な子」の未来をつぶす事になるのだ。


最近、特に農水産業などで「Sustainable(持続可能な)」という言葉がもてはやされているが、奨学基金の場合は単純に「収入と支出がバランスする事」こそが「持続可能な仕組み」であり、その収入が限定的である以上、支出も限定していかねば「持続できなくなる」のだ。仕組みを何年か回してみて、余りにもカネが余るようなら支出条件を緩めれば良いのである。それが事業の計画というものである。

だから給付型を受け取ろうとする学生は「自分は投資するだけの価値がある人間ですよ」と証明しなければならないのだ。限られたパイを取り合わねばならないのだから。一方、貸与型であれば、変な話、無制限に貸し出しても理論上は「持続可能」であるからして、手広く貸し出す事ができる。

つまり、本当に「誰もが家庭の経済状況を気にせず行きたい大学や学部を選べるように」という事を望むなら、貸与型の奨学金を大幅に増やす事こそが実現可能な案なのだ。

この若者が本当に貸与型の奨学金を受けている上で、それでも上述程度の事すら理解できていないのなら、私は「この(元SEALDSの)若者は、借金してまで大学に行く意味など無かったのではないか?」と疑わざるを得ない。


とはいえ、1000万という膨大な金額は、ポンと簡単に返せるような額ではない事も分かる。今の私立大学はこんなにカネがかかるのか!?と驚いたのだが、よくよく記事を見てみると、この元SEALDSメンバーは、筑波大学つまり国立大学の学生だという。大変立派な学歴だが・・・国立大在籍が事実だとすれば、「奨学金で1000万以上も借金」自体が嘘か、もしくは「1000万以上借金したのは事実だが、使い道の7割近くは学費以外」という事になる。(筑波大は、学費だけなら200数十万、それに教科書等を合わせても倍にはならない。)

そんなワケの分からん借金を勝手に重ねておいて、まるで社会や政権が悪いように言われてもなあw

何でも評論家・永田清一

世の中の様々な物事に、狂歌をまじえつつヒトコト申し上げる。