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豪メルボルン人質、警察はテロ事件として捜査
BBCニュース ジャパン 2017年06月6日
http://www.bbc.com/japanese/40168796
ラマダン期間中という事もあってか、ここ数週間は特にIS系の輩によるテロが激化している。2020年の東京オリンピックに向けて、正直、気が重くなるレベルである。
とは言え我が国は、移民が少なく住民の多くが同じ価値観を共有しているし、経済格差も少ないし、何より国全体として宗教がユルく、みんな何となく仲良く過ごしているので、
「日本国民が国内でイスラム過激派思想に基づくテロを起こす」心配に限って言えば、
今の時点では相当少ないと言えるだろう。
しかし外から入ってくる可能性は大いにあるし、また逆に、去年あたりにはISに参加しようとした日本人がトルコで拘束されるといった事件も起きているため、残念ながら、イスラム過激派による日本国内のテロも、心配がゼロというわけにはいかない。
何より歴史的事実として、これだけ平和な我が国にあってすら、日本赤軍やオウム真理教、東アジア反日武装戦線などなどによる大規模テロは有ったし、そこまでの(数百人規模の死傷者は出すような)規模ではなくとも、中核派等によるテロとそれによる死傷者は発生してきた、というのが実態である。
このような中で、誰とは言わないが一部の連中は、「イギリスには既に共謀罪があったのにテロが防げなかった、だから共謀罪はいらない」とか、バカみたいな事を言っている。 そして二言目には、「言論の自由ガー」「監視社会ガー」「市民の委縮ガー」などと言う。
しかし、サヨク連中のこの価値観は、人間として間違っているのではないだろうか?
まずそもそも、先日も述べたが、(⇒記事リンク)
「懲役4年以上に当たるような重罪を企てたらタイーホ」と言われて萎縮するようなヤツなら、むしろ萎縮して頂いて結構なのである。(なお私は一切、萎縮しない。重罪を企てるつもりなどないからである。)
それでも、例えば万一、私や家族が何か「圧力」とかを感じて自由にモノが言えなくなったとしたら、どう思うか?私は、「それで自分の家族を含む、人の命が守られる(その可能性が高くなる)なら、それでも良い」と考える。
私が本当に守って欲しいのは、口ではない。命なのだ。何事も、命あっての物種だ。
その点、こういう身命に対する危機からは目を背け、無視し、ただ言論の自由ガー、などというサヨクの主張は、「自分や家族が死んでも、口だけ守れ」と言っているようなものだ。
今の法律では、テロの計画や準備段階だと逮捕できない。警察は、あくまでも「実行犯」を取り締まるだけである。つまり「まず先に必ず、テロが起きて人が死んでから、やっと警察が動く」事になる。 少なくとも私は、「お前の子供が死んだら、ちゃんと犯人はつかまえてやるし、何なら死刑にしてやるよ」などと言われても、全然嬉しくない。
しかし一方で共謀罪が成立すれば、少なくとも制度上は「実行に移す前に(=犠牲者が出る前に)」取り締まりができる事になる。 つまり制度的な話をすれば、共謀罪は「絶対確実にテロ犠牲者を減らせる仕組み」と言えるのだ。 あとは「どれだけ多く確実に減らせるか」となれば、警察等による監視がどれだけ厳しくできるか、という話になる。つまり「監視社会」である。ここが100%やりきれれば、テロは100%事前に防げる事になるが、100%にできないのは、常識で考えてもロンドンの状態を見ても明らかである。しかし、この監視の有効範囲がたった20%だったとしても、それは「テロが発生して犠牲者が出る確率を20%下げた」と言えるのだ。
私は少しでも、自分や自分の家族の安全性が高まれば良いと願っている。
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